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今を仰ぐひまわり

心も頭も、感じるままに。そのままに。

『やるべき何か』が無くなっても。

自分を受け入れられるようになる前から、子供だった頃からずっと、『何かやらなきゃいけない』『前に進んでいないといけない』『もっとわかるようにならないといけない』
そんな気持ちがありました。
とても強くありました。


過去のブログにも書きましたが、色々な事があって、自分を認められる様になって、その後でも、この『何かを成し遂げなければ』みたいな強迫観念の様な固定概念は、私の中に強く強くありました。


ところが何をしていいかは全然わからなくて。
やりたい事や情熱を持てるものは特に無くて。
ただなんとなく、自分がしたいと思った事で誰かに喜んでもらえるのが、小さい頃からとてもとても幸せでした。

自己否定が強くなるにつれて、何をするのも怖くて、何も出来ない様になっていきましたが。


自分を好きになっても何も見つからない。
自分を受け入れても焦りが消えない。
焦りを受け入れても、なかなか本心が見えない。


この『何かしなきゃいけないけど何がしたいかわからない感』は、自分嫌いの時から今も、ずっとずっと私を迷わせました。


1つ1つ、色んな感情と向き合ってここまで来た。
1つ1つ、受け入れながらここまで来た。


私は『見つからない自分』を受け入れているかな?って、ふっと思いました。

『何かやらなければいけない気持ち』を手放す事こそが、やらなければいけない事なんじゃないかなって思いました。


怖かったです。 何も無くなってしまう気がして。
『え?じゃあ、私のいる意味は???』って、ポカーンとなりました。

いやいや、ずっと探してきたのに、やめたら空っぽじゃん!みたいな。


でも、すぐ思いました。


あ、でも、この毎日の一瞬一瞬にありがとうって思える事を、私はもう知ってる。

今をどう思うかで、私の今が決まる事を、もう知ってる。

だから、『やらなければいけない何か』が無くても、私は今の自分を好きでいられる。


『やらなければいけない何か』が無いと納得できた時、もっと苦しいと想像していたけど、スッキリしていました。

とっても楽に、軽くなっているのに気がつきました。


『やるべき何かを探す』事が無くなっても、私は大丈夫でした。
何も使命を背負わないでいても、ただ単純にのほほんといていいんだと思ったら、重ーいリュックを降ろした様な、キツーい帯を解いた様な、胸を撫で下ろした気持ちになりました。


それから、まだこんなに『受け入れてない自分』がいたんだなって気がつきました。

わかった様な気になっちゃいけないなって思っていたのに、わかった様な気になっていたなって思いました。


何も無い自分を、まだ私は心のどこかで無価値だと思っていた。


何も無い自分だけど、大切に思う。

また新しくスタートだなって思いました。


みなさんは、どんな自分をどんな風に感じていますか?


今日も読んでいただき、ありがとうございました。