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今を仰ぐひまわり

心も頭も、感じるままに。そのままに。

母へ。

幼い頃、母はよく私に言いました。

『人は何を思うかわからないんだから、家の事を言ったりしたら、あんたが見下されるんだからね』

母は我慢の人でした。
幼い私から見ても、ひたすら我慢の人でした。

ふとした時に見せる深く暗い表情に『なんとか笑ってほしい』とペラペラ喋り続けた事をよく覚えています。

その内の1つが当たり、母が笑った時の嬉しかった事を覚えています。

なかなか母の作り笑いを崩せず、内心焦りながら必死で話していた事を、覚えています。

私の生まれた家は、ずっとお金に困っていました。

親戚も周りにたくさんいたけど、親戚達も、お金にずっと困っていました。

母は結婚した土地から、生活に困り仕方なく父の実家の目と鼻の先に住み、住む所も祖母に決められ、監視され、父は出稼ぎの様な状態で、年に数日しか家にいませんでした。

出稼ぎの様な状態でも、家にお金はあまり入りませんでした。

母は父方の、我の強い親戚の中で、自身の実家には恥ずかしいから戻ってくるなと言われ、父の顔色を見ながら、父がいない家で、働きながら内職もして、私と兄を育てました。
恐らく、逆に父にお金を要求された事もあったと思います。

父は優しかったけれど、母の苦しみから、目を背けている人でした。

父も母も、自分を愛せずに大人になった人でした。
誰かに愛されたい人でした。
深い深い寂しさを胸に抱えたまま、大人になった人達でした。

私の目に映る母は、いつも張り詰めていて、なんとか立っている人でした。
『倒れるわけにはいかない』ただそれだけで自らを奮い立たせている人でした。
そしてそれが、いつも辛そうでした。

狭い街の中の、町内でも有名な気の強い祖母。そして、そこに集まる貧しい一族。

違う土地から入ってきた母だったからこそ、周りにどう見られているのかがわかったのではないかと思います。

事実、従兄弟を含め、私も『あの家の子は…』という様な扱いを受けた事もあります。

だけど、大人になった今、あの状態だと警戒され、色々言われるだろうというのも、理解ができました。


私は母が親戚達と大人同士の会話をした後の、暗い顔がいつも印象的で、子供心に心配になったのでしょうか、一度母に聞いた事があります。
6、7歳の頃かなぁ。

『どうしたの?何か辛いことがあったなら言って?』こんな言葉だった気がします。

母はハッとしてすぐに表情を変えました。

『なんでもないよ。大丈夫だよ。』

その瞬間が衝撃的でした。

『あ、この人今、子供用の笑顔に変えた』
『私が子供のままじゃ、話す事も出来ないんだ』
『もっと大人の会話もわかるようにならなきゃ』
そうハッキリと、強く感じました。

そこから私は『大人だったら』『優しい人だったら』『物分りの良い子だったら』どんな風に振る舞うかを考える様になったと思います。

私は母を守りたかった。
私は母が大好きでした。

あの人に笑ってほしかった。
あの人に幸せになってほしかった。
あの人はいつも、私と兄の為に一生懸命だったから。

強い強い人だと思っていた、とてもか弱いギリギリの母は、私達を守りたいと思っていた事は確かだったから。

小学校も高学年になると、どんどん家の事がわかるようになってきました。

私も母の理解者になりたくて、違和感を覚えた事は聞いていきました。

『わからないようにしてても、何かおかしい事はわかるから、だったらちゃんと話してほしい』私はそう言いました。

母が一人で抱えようとしていた事を、話してくれるようになって嬉しかった。

だけど同時に『恥ずかしい事だから』『情けない事だから』『人にバカにされるから』『どこで誰が何を言うかわからないから』
だから人間にはいつも気をつけなさい、と言われました。

『簡単に信じると本当に痛い目にあうからね』
『人は簡単に裏切るものだから』

母は母なりに、私を守りたくて必死で教えました。
私は傷つきたくなくて、それをしっかり守りました。

私は今、母の教えを破っています。
ずっとずっと、誰かに自分の苦しさを言いたかった。

ずっと大人になってから言えない苦しさに気がつき、少し誰かに言う時も、怖くて、心臓がバクバクして、物凄く悪い事をしているような罪悪感に苛まれました。

少しでも話した夜は、取り返しのつかない事をしてしまった様に気になりました。

今も強く残ってはいますが、かなり客観的に考えられる様になった気がします。

私は母に背く事で、弱さを見せられる様になりました。

母は今でも苦しんでいます。
誰にも心を許さないと決めていて、そこから抜け出せずにいます。
私は母を助けたかったけど、思春期から大人になり、お互いに苦しみ、そして最近になってやっと私は母を救えない事に気がつきました。


私は私を救い、私自身を進ませるしか出来ない。
母の、そして家族の為に自分を押し殺すと、憎んでしまう、負の感情が止まらなくなってしまう。
それじゃあ苦しみがただ広がっていくだけだと思いました。


『幸せ』を感じる人数を増やすんだ。
誰かを助ける前に、まず自分が『幸せ』を実感するんだ。

そう決めて、私は家族から離れました。
生活も苦しいと思います。
心の支えもいないと思います。

だけど、じゃあ私がなんとかします、は、もう出来ない。
もう恨みや憎しみに取り憑かれたくないと思ったんです。

私は逃げました。
負の連鎖に巻き込まれないように。
無意識で引っ張られている気がする、家族のその手から。
力の限り振り解いて逃げました。

卑怯者かもしれません。

だけど私には守るものがある。
この一族の、怖いくらいの負のスパイラルを私で止めるんだと、終わらせなきゃと、まだ10代の頃に思ったのを思い出しました。

母が私を守るために人の怖さを見せた様に、教えた様に、
私も私の守りたいものの為に、母とは真逆だけど、見せてゆきたいと思います。

私はいつでも自分の幸せを1番に考えてると。
出せる感情は出してしまえと。
誰よりも自分を大切にしてねと。
何も出来ないけど、ごめんねよりありがとうと。
あなたなら大丈夫だと。
心配ばかりするなと。
楽しい事ばかり考えてと。

想いとは裏腹に、苛立ったり怒ったりするけれど、誰よりも愛していると。

未熟な私だけれど、少しでも伝わる様に、心を込めてゆきます。

この記事を書く事は、ずいぶん迷って怖かったです。
母の教えはまだまだ染み付いているから。

だけどもう母のせいにはしたくない。
私は私の心の壁をぶち壊そう。
そう思って書きました。

長くなってしまい、ごめんなさい。
読んでくれた皆さん、ありがとうございます。

最後に、
どうか母が自分を愛せますように。
どうか母が幸せでありますように。
どうか母が過去を憎む事から抜け出せますように。
毎日を小さな幸せで満たせますように。

この文章を読む事はないと思うけれど、
あなたを突き放した娘は、いつもいつも祈っています。

許してくれなくてもいいから、どうか幸せでいて下さい。

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