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今を仰ぐひまわり

心も頭も、感じるままに。そのままに。

兄へ。

兄の事を書きます。
兄の事が1番の心のしこりなんだな、と自分でわかります。

母の時よりも父の時よりも、書こうとおもうだけで心臓がバクバクします。

でも書きます。
私はもう、彼を怖がりたくないから。

私と兄は、親戚の孫の中で、1番の下の兄妹でした。
全部で13人いる孫の中の、私が1番下で、兄がその上でした。

母の時の記事にも書きましたが、父方の親戚が徒歩30秒以内に集まっていて、その従兄弟たちの中で、両親が離婚していないのは我が家だけでした。
そして、周りも我が家に負けず劣らずの貧しさでした。

従兄弟たちは末っ子兄妹を目の敵にし、特に兄は従兄弟の男の子達から随分嫌な思いをさせられたようです。

うちで、兄の机に座り、兄のランドセルをガンガン踏み潰している光景が記憶に焼き付いています。
兄のランドセルは、小1ですでにペッタンコでした。

不在の父は威厳のあるセリフを言うのが好きな人だったので、まだ幼い兄に言いました。
『お前が父親の代わりになるんだぞ』と。

母のストレスを感じながら過ごし、自分も従兄弟たちからのストレスを感じ、誰にもどこにも頼れない兄の矛先は私に向きました。

食事の作法の指導が、それはもう軍隊の様に、鬼教官の様に、毎日の食卓で始まりました。私が低学年、兄は2つ上です。

母も始めは穏便に見ていたのですが、あまりの厳しさに私が『もうご飯なんか食べたくない!』と泣き叫び、よく覚えてないのですが、その辺りから兄の指導はなくなりました。

その辺りの夏休み、母の実家に遊びに行きました。
母と酒飲みの祖父、そこにただ居るだけの数日でした。
私は兄と二階で、テレビも遊ぶものもなく、何をするでもなく遊んでいたと思います。

兄が布団を敷き始めました。
色々指示を出され、私は訳がわからないまま、言われた通りにしました。

仰向けの私に、兄は覆いかぶさってきました。
こうやって声を出せと指示されました。
理解出来ないまま、言う通りにしました。

兄は腰を振っていました。

服も着ていたし、何もされなかったけど、
セックスごっこをさせられました。
兄は大きい年頃の従兄弟たちに、性的な話を聞かされ、いつもからかわれていたので、そのはけ口が私にきたんだと思います。

その事は思い出す事もなく大きくなり、20歳前後に急に思い出しました。
本当に急に思い出しました。

そこからは自分が余計に薄汚いものに思え、たった一度だけの事だ、実際何もなかった、と自分に言い聞かせ、忘れたつもりになっても、時折頭に浮かんでは、異質な思い出を持ってる自分と兄に、深い嫌悪感を抱きました。
この事は、今まで誰1人として話せずにきて、ずっと胸に引っ掛かっていました。

ずっとずっと、誰かに知られるのが怖かったので、私は今、ここで言う事で、この事を流したいと思います。

兄は高学年になり、家も不安定で、何より男の子で父親の正体が上手く掴めないのが大きかったと思います。とても不安定で、私に暴力を振るうようになりました。

母が仕事でいない間、少しでも気に触ると正座をさせられ、延々と説教をされました。
物凄い形相で怒鳴られ、それが何回か繰り返され、我慢しきれずに口答えをした時に、暴力が始まりました。

そこからは些細な事での説教、暴力です。
馬乗りになって往復ビンタ、髪の毛を掴まれて頭を壁に打ち付けられる、胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられる、言葉を発しただけで裏拳が飛んできました。

ひどい時は母がいる時もありました。
母に聞こえていたかどうかはわかりませんが、助けて欲しいと扉の開いている隣の部屋を見ると、背中を向けて、気がつかずに電話をしている母の姿が忘れられません。

2、3年続いたでしょうか。
ある時私は『こんな人間には絶対にならない。こんな人間には絶対に屈しない。』そう決めて兄を睨み返しました。
私の態度に兄はすごみ、怒鳴る兄に向かって言いました。
『好きなだけやればいい。殴りたきゃ殴ればいい。絶対にお兄ちゃんの思い通りにはならないから!』
その時もかなり叩かれたけど、その頃から、暴力を振るわれる事はなくなりました。

兄はその後どんどん負の連鎖に入っていきますが、今でも図星をさされるとすごみ、壁やドアを叩き、怒鳴り散らし、理詰めの説教を大声で始めます。

私と母は長い間、それが怖くて兄が好き放題してても強く言えませんでした。

兄はだんだん自分を見失っていきました。
お金に困り、時折私に貸してくれと言う様になりました。
断れない理由をつけて、申し訳なさそうに、すぐ返すと言うその姿は、父にそっくりでした。

お金が返って来た事はありませんでした。

私名義で借金をされ、裁判所から通知が来て、怪しいと思い手紙を見つけ、問い詰め、私が全部返済をしました。

私はその事で携帯を自分名義で買えなくなってしまったので、母の名義で使っていたら、いつの間にか家族プランで申し込んでいて、ひと月十万近く使用していて、母名義なので兄が止まると私も止まるので、仕方なく払っていました。

家の家賃が滞った時も、ガスや水道が止まった時も、取り立て屋が来た時も兄はおらず、出来る限り私が支払いました。

逆上されるのが怖くて、強く言えませんでした。
でも怖かっただけではないんです。

兄も心の闇を抱えて大人になってしまったのがわかる。

私は女で、よく母といたので守られていた部分があるけれど、彼は父親というものをよく知らず、それなのに責務と重圧だけ与えられ、いい子でいる事を強要され、従兄弟の縦社会で、学校で、惨めな思いをした。

妹に暴力を振るい、軽蔑され、サラ金に数百万円の借金をして、職もなく、期待もされず、自分をクズだと追い詰め、どこにも出口を見つけられずに苦しんでいる。

何かが少しでも違えば、彼は私だったかもしれないんです。
私は大した人間じゃないけれど、何とか自分を保ってくる事が出来て、恵まれていた。

私がするかもしれなかった経験を、兄が兄だということで背負ってくれたと、今は思えます。

兄はどうしようもない自分への苛立ちを、私が家からいなくなった後、父に向けました。
父を軽蔑することで、憎む事で、自分を保っています。

少し落ち着き始めた父は、兄に、母に、とても偉そうにふるまう様になりました。

兄は仕事もまともにせず、自分に希望を見い出せず、表面では父に合わせ、時折衝突をし、恨みを膨らませていきました。

そして、父がまた崩壊しました。

私は兄と話し、何回も衝突し、セックスごっこ以外の、兄への気持ちを伝えました。

今、兄は父と母の住む家で、自分の未来の事だけを考えて、孤独と戦いながら進み始めています。

恐らく、兄は大丈夫なのではないかな、と思います。

今は父や母に反発心を持つ事で自分を奮い立たせているけれど、きっと歯車が回り始めたら、解放されると思います。

それを、もう頭のどこかでわかっていると思います。

まだ、男性というものへの根本的な恐怖心はあります。
兄と父への生理的な嫌悪感も時には顔を出します。

だけど、兄が立ち直り、自分を認め、幸せになって欲しいと本当に思います。

そうなる事で、初めて兄への恐怖心が無くなる気もしています。
兄の、無理をしていない、無邪気な笑顔が見てみたい。

この現状が苦しくても、今、この瞬間、この一瞬一瞬に幸せになると決める方を選択しながら、いつか彼の周りが明るさで包まれているといいなと、願っています。


手助けはしないと決めました。
兄も助けは求めません。
自分で立ち上がってくれと伝えました。
自分で立ち上がると言いました。


こんな言葉でしか応援が出来ないけれど、
頑張れ。負けるな、お兄ちゃん!


まとまりのない文章で、長い文章でごめんなさい。
読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。

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